カトリーヌ・ド・メディシスからディアーヌ・ド・ポワチエまで

published at 24/08/2017

アンリ2世の妻だった王妃カトリーヌ・ド・メディシスが、1550年にショーモン城を買い取ります。よって領地の収益は大きく増大しました(ロワール川の通行料金や多くの農業地)。王妃はショーモンを、おそらく狩猟の待ち合わせ場所や、アンボワーズ城とブロワ城の間の宿泊所として使用していたようです。

カトリーヌ・ド・メディシスは生涯を通して、占星術師に取り巻かれていました。その中には最も有名な占星術師ノストラダムスとコジモ・ルッジェーリがいました。伝説によれば、ルッジェーリがカトリーヌ・ド・メディシスに、ブロワ朝が終わりを告げ、アンリ4世の即位によるブルボン朝が始まることを予言したのは、ショーモン城だったということです。コジモ・ルッジェーリの占いによって、鏡の中に、君臨する運命にある王妃の3人の息子、フランソワ2世(1559年ー1560年)、シャルル9世(1560年ー1574年)、アンリ3世(1575年ー1589年)の顔が現れました。鏡は、3人の王それぞれの君臨の年月と同じ数だけ回転したと言われています。

1559年の馬上槍試合の際、アンリ2世が亡くなり、摂政となったカトリーヌ・ド・メディシスは昔の恋敵ディアーヌ・ド・ポワチエに、シュノンソー城を返すように求めます。アンリ2世のこの贈り物は、実際には譲渡出来ない財産でした。なぜなら城は王家の物だったからです。王妃はその代わりとして、ショーモン城をディアーヌに与えます。

アンリ2世のかつての愛妾だったディアーヌは、ショーモン城に一時的にしか滞在しませんでした。けれども居住地である城を気にかけ、彼女はショーモン城の建設を1566年に亡くなるまで続けます。ディアーヌがショーモン城に、現在の外観の本質を与えたのです。城を引き継いだディアーヌの娘は、1573年に、城に大庭園を備えたいという想いを示した最初の人物でした。けれども彼女が亡くなった翌年に、このプロジェクトは終わりを迎えることになります。