中世からルネッサンスまで

published at 24/08/2017

ショーモン・シュール・ロワール城は、およそ10世紀頃に、ブロワ伯爵ウード1世によって建設されます。その目的は、ブロワ伯爵自身の領土と、フルク3世ネラが保有するアンジェー伯爵の領土との境界を見張るためでした。

ノルマンディー騎士ジェルダンをショーモン城に迎えることで、さらに要塞が強化されます。ウード1世の息子で後継者ジョフロワには子供がおらず、跡継ぎとして甥の娘ドニーズ・ド・フジェールを選び、ドニーズは1054年、シュルピス1・ダンポワーズと結婚します。ショーモン城はこうして5世紀にわたりアンボワーズ家によって受け継がれていくことになります。

1465年、ルイ11世が、公益同盟(国王に対する貴族の陰謀)に関わったとしてアンボワーズのピエール1世を懲らしめるために焼き払ってしまいました。その土地は恩赦により波に返されます。彼は息子シャルル1世の助けを得て、その後、城を再建しました。その後シャルル2世が、叔父で枢機卿だったジョルジュ・ダンボワーズの援助を得ながらショーモンの再建を続けます。権力があり、また権力者と親しかったこの一族は、ルイ12世の統治下で、その絶頂期を迎えます。一族の権力者は、偉大な庇護者でもありました。ジョルジュ・ダンボワーズやその甥にあたるシャルルII・ダンボワーズなどがその筆頭にあたります。

ジョルジュ・ダンボワーズはナルボンヌ大司教であり、その後ルーアンの大司教になります。枢機卿に出世し、その後教皇特使になりました。彼は、ルイ12世から特別待遇を受けた助言者でもありました。彼は、フランスにイタリア様式を導入した最初のひとりであり、またショーモン城、ガイヨン城、メイヤン城の建設の監督を行いました。

王と親しかったシャルルII・ダンボワーズは、1503年にショーモンを訪れています。彼は、ロンバルディアの総督に任命され、陸軍元帥を経て、それから海軍元帥になります。またフランス人として初めてレオナルド・ダ・ヴィンチに注文をした人物でもありました。ダ・ヴィンチの弟子アンドレア・ソラリオを、1507年にフランスに呼び寄せています。