啓蒙の世紀とロマン主義

published at 24/08/2017

ショーモンにおける啓蒙の世紀とロマン主義時代は、2人の類まれな人物の活躍が際立っています。すなわち、ルイ16世時代に廃兵院長だったジャック=ドナシアン・ル・レと18世紀から19世紀の女流文学者ジェルメーヌ・ド・スタール(スタール夫人)です。

ジャック・ドナシアン・ル・レは、ナント出身で、商売で財を築き、1750年にショーモン城を購入します。1772年、ル・レは2つの製造所を建設しています。すなわち、陶器製造所とクリスタルガラス製造所が、現在の厩舎の場所にありました。彼は、有名なイタリア人彫刻家ジャン・バティスト・ニニにこの管理運営を任せています。ジャック=ドナシアン・ル・レは、アメリカ独立戦争のための蜂起に共鳴し、国王ルイ16世とアメリカの代表者(ベンジャミン・フランクリン、アーサー・リー、サイラス・ディーン)の仲介を取り持った他、私財を投じてアメリカの軍隊を援助しました。

ジャック=ドナシアン・ル・レの息子は、1785年にアメリカに落ち着きますが、ショーモンへの滞在も続けます。彼はアメリカ人女性と結婚し、アメリカ国民になります。

ジェームズがナポレオンの命令で国外追放を受けている間、ジェルメーヌ・ド・スタール(スタール夫人)は、友だちであるジェームズの不在を利用し、ジョーモン城に、1810年4月から8月まで滞在します。それは、著書『ドイツ論』がトゥールで印刷されるのに際し、その修正や監督を行うためのものでした。スタール夫人が居を構えたために、ショーモンには数多くの有名な人々、例えばレカミエ夫人、アーデルベルト・フォン・シャミッソー、サブラン伯爵、サラベリー伯爵、『アドルフ』の作者バンジャマン・コンスタンなどが訪れました。

1833年、アラモン伯爵が領地を取得しました。彼は、ショーモンに今までになかった公園を造ろうと努力しました。彼の死後、未亡人はジョゼフ・ウォルシュと再婚しました。ジョゼフ・ウォルシュ子爵は、ジュール・ポティエ・ド・ラ・モランディエールに、城の修復を依頼しました。この城は、1840年以来、歴史的建造物に指定されています。しかし彼の努力にもかかわらず、修復には膨大な費用がかかり、断念しなくてはなりませんでした。1872年に、ショーモンは再度、売りに出されました。