歴史的大庭園

published at 24/08/2017

ショーモン城の大庭園は、城そのものの歴史から見ると、造られてからまだ日が浅く、1880年代までは、今とは全く違った様相を呈していました。

現在の大庭園の代わりに、城の正面には、113軒の家からなる2つの小さな集落(プラス村とフレディエ村)があり、聖ニコラの塔の足元には教会と司祭館が建ち、村の裏側には墓地がありました。

あちこちに花が咲き何本かの道が交差するいくらかの緑地が、城の持つ唯一の庭園となっていました。

しかし、造園が行われる前からあった要素も、現在見る事ができます。大庭園の南東にあるマロニエが植えられた中央の散歩道の一部と、城の東側にある菩提樹の並木道は18世紀から続くものであり、西洋杉の一部は、1830年~1847年までショーモン城の城主であったアラモン伯爵によって植えられたものです。

造園・建築家アンリ・デュシェーヌは、領地を根本的に作り変え、「イギリス風」とも言われる様式の広大な観賞用庭園を完成させました。工事は1884年~1888年にかけて行われ、当時のお金で約金貨56万フランがかかりました。アンリ・デュシェーヌの設計は、これまで城に欠けていた壮麗で美しい庭園を城に与えるものでした。

造園にあたり、アンリ=アメデ・ド・ブロイ公は、1884年から、城の前にある家を全て購入し、それらを取り壊しました。続いて、ロワール河岸に新しい村を建設する費用を負担しました。それと同時に、現在の教会と司祭館が、ポール=エルネスト・サンソンの設計に基づいて建設されました。墓地もまた移転しました。

散歩道は曲線を描くものとなっており、眺めの良い場所を通りながら途切れずに散策を楽しめるよう工夫されています。大庭園の周りを通る輪になった散歩道により、庭園の広さを十分に味わうことができます。接線、楕円、螺旋を作る巧みに配置された小さな散歩道がそれにつながり、散歩道を延長し、あるいは特定の場所へと導きます。眺望を作る8つの道が設けられ、その5つは城の入口付近で交わっています。そうした道や木立ちの輪郭が冬にも保たれるよう、常緑樹が植えられています。樹木は、特に秋に調和の取れた美しい色合いを見せるよう、様々な種類のものが選ばれています。城の周りに植えられた西洋杉の深い緑色は、石材の明るい色と美しい対照をなしています。傑出した樹木は、他の木々から離して植えられています。また、デュシェーヌの設計は、この立地の魅力を最大限に引き出すものとなっており、工夫を凝らした眺望により、ロワール川とブロイ家の領地である広い農地と森林が融合されています。

敷地内のその他の建造物:

水の城」とも呼ばれる給水棟は、この領地が購入されるとすぐ、造園・建築家アンリ・デュシェーヌが城にやって来る前に造られました。その後、アンリ・デュシェーヌは、木や小潅木の木立ちと一体になるよう、給水棟に手を加えました。当時、給水棟の主な役割は、近くにある第1菜園に水を供給することで、この水は、村にある家に設置されたロワール川から直接水を汲み上げるポンプから送られてくるものでした。現在は金属製タンクは使用されていませんが、ロワール川から今も汲み上げている水の貯水槽は、林間に新たに造られた空き地にある給水棟の下に1987年に埋められました。

観賞用庭園とグアルーと呼ばれる場所を隔てるくぼ地にかかる「丸太造りの」橋は、大庭園にある主要な装飾用建造物となっています。大庭園の最初の計画では、アンリ・デュシェーヌは、現在の橋とは大きく異なる、道とくぼ地をひと続きにまたぐつり橋を造ることを検討していました。結局、公爵夫妻はこの最初の計画を却下して、アンリ・デュシェーヌに今日見る事のできるこの橋の建築を依頼しました。

動物をこよなく愛したブロイ公妃は、動物たち(犬、猿、猫、ロバ)がショーモン城の近くに埋葬されることを希望し、犬たちの墓地を造らせました。選ばれたのは、1788年からそれまで村の墓地となっていた場所でした。1875年にショーモンの領地を手に入れたブロイ公夫妻は、その直後から村の墓地の移転の交渉を始めました。新しい墓地は、1881年から1883年にかけて造られ、この年から使われ始めました。その年にはまだショーモン城の大庭園の工事は始まっていませんでした。埋葬されていた遺体を掘り出す作業は1893年に行われました。よって、ブロイ公妃がこの場所に犬たちの墓地を設けたのはこの年以降になります。かつて囲われていたこの墓地には、20基ほどの墓があり、それぞれの墓の前には花壇が作られていました(現在あるのは18基)。林の中の3つの場所に分かれて並んだそれらの墓は、そのほとんどに、ブロイ公妃が可愛がっていた動物たちのために詠んだ詩が刻まれています。