ショーモン城の歴史

published at 24/08/2017

ショーモン・シュール・ロワール城の歴史は、1000年頃に始まります。ブロワ伯爵ウード1世が、ブロワとアンジェーの伯爵の境界を監視するために、ロワール川を見下ろす丘の上に要塞を造らせました。1054年には城はシュルピス1世ダンボワーズの手に渡り、500年にわたりアンボワーズ家が所有することになります。

ルネサンス期の1550年に、王妃カトリーヌ・ド・メディシスがショーモン城を買い取り、ルッジェーリやノストラダムスを個人の占星術師として招きました。当時ショーモン城はロワール川流域で最も収益性の高い城の一つと見なされていました。国王アンリ2世の死後、カトリーヌ・ド・メディシスはかつての恋敵ディアーヌ・ド・ポワチエが所有していたシュノンソー城とショーモン城を交換し、ショーモン城はディアーヌ・ド・ポワチエの手に渡りました。1750年には、ジャック=ドナシアン・ルレーが城主になります。アメリカ独立の支持者であった彼は、ベンジャミン・フランクリンをこの城に受け入れた他、イタリアの彫刻家ジャン=バティスト・ニニを迎えました。ニニは、ルレーが領地内に造らせた2つの製造工場を経営し、このアメリカ合衆国「建国の父」の像を刻印したメダイヨンを作りました。

1803年、ナポレオン1世から亡命を余儀なくされた批評家ジェルメーヌ・ド・スタールは、ルレーの息子と友人関係にあり、トゥール市での時著作『ドイツ論』の印刷を見守るために1810年4月から8月までショーモン城に滞在しました。

1875年、製糖業者ルイ・セイの孫娘にあたる当時17歳の裕福なマリー=シャルロット=コンスタンス・セイが、ショーモン城を大変気に入って買い取り、同年、アンリ=アメデ・ド・ブロイ公と結婚します。こうして、以降半世紀にわたり、この壮麗な城で、ヨーロッパ各国の国王と王妃を迎えた豪華絢爛な饗宴が催されることになります。